
自分の本音と向きあって生きるために、2020年4月、9年間働いた職場を退職しました。
ちなみに前職は看護師です。
「資格を捨てるなんて。」
「これまでの経験を捨てるなんてもったいない。」
と思われた方もいるでしょう。
なぜわたしが、30才を過ぎて退職に踏み切ったのか。
現在に至るまでのお話をさせていただきます。
もくじ
母親の顔色をうかがう幼少期
高知県のとてつもなくド田舎に生まれました。
大自然まみれの場所で、はちきん(男勝りの女性)とは程遠い幼少期を過ごしました。
母に準備された服が気に入らなくても何も言えず、その服をそのまま着ていました。
仕事で疲れているのを感じたら、率先してお手伝いを申し出ていました。
毎日のように父と喧嘩をして、こっそりと泣いている母を見ていたからです。
自分は母のためにいい子でいなきゃいけない、
つらい思いをしている母にこれ以上苦しい思いをさせてはいけないという一心から、
いつも顔色をうかがって行動している子どもでした。
やりたいことがないから看護師の道へ
「あなたには、就職するか看護学校に行くかのどちらかしか選択肢はない。」
高校3年生の時に両親から言われた言葉です。
父の仕事が減っていたこともあり、裕福な家庭でないことはわかっていました。
当時母は准看護師として働き、姉も看護学校に通っていました。
「まだ、就職はしたくない」という思いから、わたしも看護師の道に進む決意をします。
今思えば、看護師という安定した職についてもらいたい両親の気持ちを汲みとっていたのだと思います。
何の夢もなかった私にとって、両親の夢はある意味わたしの夢でもありました。
適応障害でたった半年で退職する
国家試験に受かるかどうかさえ危ぶまれながらも、何とか看護師の免許をとったわたしは、急性期の病院へ就職します。
しかし、もともと要領が悪く何をするにも人の倍以上時間がかかるため、少しずつ同期との仕事の差が生まれていきます。
看護学校も同じだった同期はサポートなしで夜勤に入っている一方、わたしが夜勤に入る時はいつも一人人数が多くなっていました。
そして、「まだちょっとひとり立ちはできない」と教育係の人が上司と話しているところを聞いてしまいます。
同僚と同じようにできないことが情けなくて悔しくて、
毎日毎日たくさんの仕事を自分ひとりで何とかしようとするうちにある異変が生じます。
お腹は減ってるのに量が食べられない。
とてつもない空腹感でお弁当を買ったのに、いざ食べはじめると一口で止まってしまう。
仕事のたびにこの現象に襲われるようになりました。
あんなに大好きだった食べることを体が拒否し始めたんです。
そんな日が続いていたある日、とんでもない行動に出ます。
次の日に仕事があるにも関わらず、片道2時間以上かかる実家に帰ったのです。
そうバックレました。(笑)
「つらい。仕事に行きたくない。」
その本音が言えないばかりに心が死んでしまったんです。
それなりにいい子で生きてきたわたしは、本音を言うことで両親に嫌われかもしれないと思い込んでいたんです。
結局、心療内科にかかり適応障害の診断がくだされ、2か月の休職ののちその病院は退職しました。
自分の気持ちを言えなかった結果、周囲にはたくさん迷惑をかけ、とんでもない辞め方をしてしまったのです。
このまま働き続けることに疑問を持ちはじめる
休職したのち地元の病院へ再就職をします。
経験年数が積み重なるにつれて、仕事ができる人として評価してもらえることが増えました。
前の職場では評価されなかったけど、今は評価されている。
「わたしはダメじゃない。できるんだ。」
スタッフからの評価が高いことがわたしのやりがいだったし、働く意味でした。
このために働いているんだとすら思っていました。
そんな中で、
「評価はしてもらえることは嬉しい。でも、わたしはこのままでいいのか。これが本当にやりたいことなのか・・・。」
と周りの目ばかりを気にして働くことにモヤモヤした感情が生まれます。
そうは言っても
「自分には看護師しかできない。他にやりたいこともないし。」
「やりたい仕事でもないけど、働かないと生きていけない。」
「やりたいことで生きてる人なんて、そんなにいないし。」
と言い聞かせ、そのモヤモヤと向き合おうともせず、自分をだましながらズルズルと働き続けました。
突然糸が切れる
ひたすら自分をだまし続けていましたが、ついに突然、気持ちがプッツリと切れたんですね。
ほころびだらけで今にも切れそうだった糸が、ハサミでチョキンと切られた感覚でした。
それが、自分で動けないのに帰りたいと駄々をこねるおじいさんを説得してる時だったんですね。(笑)
何回言ってもわかってくれないからこっちもイライラして、
「あーもーヤダ。看護師やめよう。こんなことするために働いてるわけじゃない!」
って本気で思ったんですね。
この出来事をきっかけに、自分が本当は何をしたいのか探しはじめます。
(あの時のおじいさんありがとう。)
ブログと出会う
何をしたいか探してた時に、「ブログであなたの思ってることを書いてみたらいい」って占いにあったんですね。
もちろん見た直後は、
「ブログって芸能人がやるもんでしょ?わたしの書いたものなんか誰が読むの?」
って思ってました。それでもどこか引っかかってたんですね。
ブログに関してあれこれ探してるうちに、偶然あんちゃさんのブログに出会いました。
\あんちゃさんのブログはこちら/
そこで初めてブログで飯食ってる人の存在を知ったわけです。
普通の会社員だった人がブログで生計を立ててることが衝撃でした。
わたしと同じように自分の生き方がわからず、もがいて苦しんでいる人がいることを知れた嬉しさと、
なにより失敗したり、時には誹謗中傷されながらも、偽りのない自分の言葉で発信をしている姿に心が動かされました。
「こんな風に生きたい。」
そう思ったんです。
正直言うと、自分のやりたいことを探すより他者の望む自分で生きる方が楽だったんです。
希望が明確で、それを叶えると喜んでもらえて。
でも、もうこれ以上自分に嘘をついて人のために生きるのはイヤだ。
人の言う通りに生きたところで自分の人生を生きるのは自分なのに。
だれも肩代わりしてくれる人はいない。
だったらやりたいようにやってみよう。
あんちゃさんのブログがきっかけで考え方が変わりました。
情報発信をする理由
辞めようと決意して約1年後、晴れて看護師を退職しました。
「資格があるからいつでも戻れる。」
「今までのキャリアを捨てるのか。」
とか言われましたが、辞めたことに1ミリの後悔もありません。
両親や周りの顔色をうかがってばかりで、軸もなくなんとなく生きてきたわたしが、
他の誰でもなく自分の本音と向き合ってだした結論だからです。
周りの目を気にせず、やりたいことをやろうと決めたのは初めてでした。
30才すぎてこんなに環境をかえるとは思ってもみませんでした。
だいぶ遠回りしました。
でも遠回りしたからこそ、やりたいことがわからずライスワークになっている後輩や、
下がり続ける給料と増え続ける仕事量にただ文句を言うだけの先輩、
家族のためにと自分を犠牲にする上司、
自分の本音で生きられない人をたくさん見てきました。
だからこそ、わたしの発信で誰かひとりでも自分のこれからの人生を考えるきっかけになってもらいたい、その行動をあと押しできるサポートをしたい。
そのために、わたしが自分の本音と向き合い続けていこう。
その覚悟で情報発信をしています。
拙い文章ですが、読んでいただいたあなたのこれからを考えるきっかけになれば嬉しいです。